
「水茎焼」の紹介
琵琶湖の焼き物 水茎焼(みずぐきやき) 水茎焼は、滋賀県近江八幡で生まれた焼き物です。 その名は [...]
水茎焼は、滋賀県近江八幡で生まれた焼き物です。
その名は、万葉集にも詠まれ、平安の昔には絵師・巨勢金岡(こせのかなおか)があまりの美しさに描くことをあきらめたとも伝えられる、琵琶湖畔の景勝の地「水茎の岡」に由来します。
近江八幡は、古くから焼き物と深い関わりを持つ土地でもあります。
古代には、朝鮮半島から伝わったとされる須恵器がこの地域でも作られ、長い年月を経て、土と火を使ったものづくりの文化が育まれてきました。そんな近江八幡の風土の中から、約50年前に新しい焼き物として生まれたのが「水茎焼」です。
そんな水茎焼は、琵琶湖をイメージしたオリジナル釉薬、淡い青緑色の「水茎青磁」と湖国・滋賀の県鳥「かいつぶり」をシンボルとして描いています。
琵琶湖の風景と、近江八幡の土地に息づく焼き物の文化。
そこから生まれた水茎焼は、現在、近江八幡と長浜という長い歴史を持つ二つの地で多くの人に親しまれています。
その原点を大切にしながら、さまざまな技法を取り入れ、現代の暮らしに合った器づくりを続けています。
水茎焼の信条
気取った焼き物ではなく、毎日の暮らしの中に。
水茎焼が大切にしているのは、飾って眺めるための器ではなく、毎日の暮らしの中で気軽に使っていただける器をつくることです。
朝のコーヒーを飲むマグカップ。
毎日のご飯をよそうお茶碗。
家族の食卓に並ぶお皿。
特別な日のためにしまっておくのではなく、いつもの食卓で使ってほしい。
そして、使うほどに手になじみ、いつしかその人の暮らしの一部になっていく。
そんな器でありたいと考えています。
そのため水茎焼では、一つの技法や形にとらわれることなく、さまざまな技法を取り入れながら、使いやすさと水茎焼らしさを大切にした器づくりを続けています。
「気取った焼き物でなく、気軽に使える日常食器」
水茎焼が生まれたときから今も変わらない、
それが私たちの想いです。
450年の歴史を受け継ぐまちに生まれた焼き物
天正4年(1576年)、織田信長が安土山に城を築き始めました。
その9年後の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次が八幡山に城を築き、安土城下の人々を移して、新たな城下町としました。
安土から八幡へ。
八幡堀を琵琶湖と結び、人や物が行き交う町として発展した近江八幡は、その後多くの近江商人を輩出する商いの町として歴史を重ねてきました。
そして江戸時代になると、周辺で採れる良質な粘土と、八幡堀から琵琶湖へとつながる水運を生かした瓦づくりが盛んになります。
やがて「八幡瓦」として発展し、近江八幡を代表する伝統産業のひとつとなりました。
土の性質を知り・形をつくり・火で焼き上げる。
この町には、そんな「土と火のものづくり文化」が長く息づいてきました。
そして約50年前。
450年の歴史を受け継ぐこの町に、新しい焼き物が生まれました。
それが「水茎焼」です。
八幡瓦と水茎焼では、つくるものも技法も異なります。
しかしその根底には、土に触れ・形をつくり・火で焼き上げるという、焼き物ならではの営みがあります。
そして現在では、近江八幡だけでなく琵琶湖のほとりのさまざまな場所で、焼き物を見て知り、実際に土に触れ、自らの手でものをつくることができます。
450年の歴史を受け継ぐ町に生まれた、50年の焼き物。
かつてこの町を支えた八幡瓦。
そして、約50年前に生まれた水茎焼。
時代とともにつくられるものや、その形は変わっても、「土と火のものづくり文化」は今もこの町に息づいています。
焼き物を「見る」だけでなく、自ら「つくる」。
土の感触を知り、形をつくり、やがて火によって一つの器になる。
今もこの町では、多くの人が自らの手で土からものを生み出す楽しさを体験しています。
近江八幡で生まれた水茎焼の拡がり。
近江八幡で生まれた水茎焼は、ご縁があり豊臣秀吉が城下町の礎を築いた長浜へ、その楽しみの場を広げています。
これからも水茎焼は、琵琶湖のほとりで【人と土をつなぐ焼き物】としての歩みを続けて参ります。
参考資料・出典
- 近江八幡市「安土城築城450年」関連資料
- 近江八幡市「八幡伝統的建造物群保存地区の概要」
- 近江八幡市文化財保存活用地域計画
- 産業技術総合研究所 地質調査総合センター『地域地質研究報告 近江八幡地域の地質』




水茎焼の陶芸体験
水茎焼を実際に、自分の手でつくってみませんか?
〇近江八幡 水茎焼陶芸の里
[水茎焼公式webページ] [近江八幡・教育旅行のご案内]
〇長浜 ほっこくがま
[陶芸工房ほっこくがま公式webページ] [長浜・教育旅行のご案内]









